(エステル記4:14)
・毎日、聖書を読む時に、お役立てください。
一日一章 エステル記1章
エステル記は旧約聖書の中でも異色の書です。神の名が見当たりません。それでいて、神の摂理のお働きが明らかに示されています。まぎれもなく、神は歴史も日々の出来事をも支配しておられるのです(参考:ハイデルベルク信仰問答27,28)。この章に記されている出来事も神の御手の内にあり、エステル登場につながってきます。
物語の舞台は、ユダヤの国から遠く離れたペルシャの王クセルクセス(アハシュエロス、在位BC486~465)の宮殿のあるスサです(1,2)。王は、治世の第三年に国威を示すための宴会を催しました。身分の高い者たちを招いての酒宴です(3~9)。その七日目のことです。心が陽気になった王は列座の者に王妃ワシュティの美しさを見せようとしてワシュティを召しました(10,11)。
ところが、王妃は王の命令を拒み、来ようとはしなかったのです。どんな事情があったのかは記されていませんが、事態は王妃に不利に動き始めました。
怒りに燃えた王は、王国の最高の地位に就いていた七人の大臣に、王妃をどのように扱うべきかを諮りました。その結果、王妃ワシュティはその座を追われることになり、後に多くの女性を苦しめたと思われる法律を残したのです(14~22)。自己中心の言動が、どれほど実のないものであるかを思わされます。
しかし、この出来事が後のユダヤ人を重大な危機から救う備えとなるのです。人間の思惑を超えて、神は、「神を愛する人たち、すなわち、神の御計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる」(ローマ8:28)ように導いておられるのです。その神に感謝し、御名を賛美しましょう。-山本怜-
一日一章 エステル記2章
「これらの出来事の後」は、BC479年にクセルクセスがギリシャとの海戦で大敗した後のことです。この大敗も関係したのでしょう、王はワシュティを失った寂しさや、ワシュティへの自らが下した仕打ちを思い返したのです。だが、王は自らの法律によって、身動きが取れなくなっていました(1)。その王に、侍従たちは「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを探しましょう。…そして、王のお心にかなう娘をワシュティンの代わりに王妃としてください」とすすめました(2,3)。これが王の意にかない、新しい王妃選びが始まったのです。
時に、スサの町に捕囚の民のモルデカイというユダヤ人がいました(5,6)。彼は父と母を失ったおじの娘ハダサ、すなわちエステルを養育していました。このエステルが、多くの娘たちがスサの城に集められた時に王宮に連れて行かれて王の宦官ヘガイのもとに置かれました。やがて王の前に出るときが来て王の好意と寵愛を受け、ワシュティにかわって王妃とされたのです(8~18)。多くの娘たちの中から王妃として選ばれたのは、王によるのでもなく、偶然でもありません。神の御計画と期待が秘められている神の選びです。神はこの捕囚の民の一人の娘を用いてイスラエルを危機から救おうとして彼女を祝福されたのです。すべての事柄は神の救いの御業のために運ばれているのです。
こうして王妃となったエステルは、モルデカイが知るところとなった王殺害計画を聞かされ、それをモルデカイの名で王に知らせました。このことは年代記に記録されました(21~23)。これが何を意味するのか今の段階では分かりませんが、やがてすべてが意味あるものとしてつながってくるのです。すべては神の摂理のもとにあるのです。私たちには、見えざる神の御手を信じる神への信仰が大切なのです。-山本怜-
一日一章 エステル記3章
「これらの出来事の後」(1)とは、クセルクセス王の治世第七年(2:16)と第十二年(7)の間にあたります。その頃ハマンは首長の中でも最高の地位に抜擢されました(2)。このことの中にも神の御手は働いているのです。
2~4節に記されているハマンに膝をかがめてひれ伏す王の家来たちの態度とモルデカイの取った毅然とした態度からは、それぞれが何をおそれているかが見えてきます。家来たちが恐れるのは、自分が不当な取り扱いを受けることであり、モルデカイが畏れるのは自分をご自身の民としてくださる神なのです。「ひれ伏す」(3)は、神への祈りや礼拝の行為としても使われることばです。モルデカイがハマンにひれ伏さなかったのには、意味があるのです(参考
マタイ4:10)。
ハマンが、ひれ伏そうとしないモルデカイの態度が許し難かったのはなぜなのでしょう(5,6)。一人でも自分に従わない者がいれば瞬く間に己れの権威が崩れていく、つまり権威のもろさを知っていたからではないでしょうか。ハマンを通して描き出されているのは弱い人間の姿です。憤りに満たされたハマンはモルデカイとモルデカイの民族ユダヤ人を根絶やしにしようと心に決めて、くじを投げて決行の日を決めました(6,7)。(「くじ」と訳されている語は「プール」で「プリムの祭り」の語源になります。)。その上で、彼は王をことばたくみに説得して王の許可を得ました(8~11)。こうして、「アダルの月の十三日(くじで決めた日)の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪え」という王からの法令が書簡として国中に送られすべての民族に公示されました。この法令が公布されるとスサの都は混乱に陥ったのです。-山本怜-
一日一章 エステル記4章
ハマンの奸計を知ったモルデカイは、衣を引き裂き、粗布をまとい、灰をかぶって大声で王の門のところまで行きました(1,2)。このことを侍女たちと宦官たちから聞いたエステルは非常に痛み苦しみ、モルデカイに衣服を送り、粗布を脱がせようとしましたが、彼は受け取りません。尋常ではないことが起こっていることを悟ったエステルは、事情を聴かせるために彼女に仕える王の宦官ハタクを彼のところに送りました。モルデカイは、スサで発布されたユダヤ人根絶の文書の写しを託して事情を知らせ、同時に、エステル自身が王のもとに行って自分の民族のために王のあわれみを乞い求めるように伝えたのです(8)。
モルデカイの伝言を受け取ったエステルは、王にあわれみを求める決断は死に直面することでもあるがゆえに躊躇したことでしょう。そのエステルに、モルデカイは神の御手がこのことがらの中には置かれていることを、エステルに返事を送って告げたのです。14節のことばを再度読み返しておきましょう。大切にしたいことばがあります。「あなたが沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう」と「このような時のため」ということばです。このところで教えられるのは、神の目的は挫折することはないということです。その変わらない神への信頼が信仰の力となるのです。また、「このような時のために」自分はここに生かされていると思う信仰の目を日頃から養っていることの大切さです。
エステルは神の前で最終決断をしました。16節はエステルの信仰告白でもあるのです。ここには、「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい」(マタイ16:24)と言われる主にすべてを委ねてお従いする信仰者の姿がはっきりと見えるではありませんか。-山本怜-
一日一章 エステル記5章
「それから三日目」の持つ意味は大きい。この三日は、すべてのユダヤ人が、ユダヤ民族絶滅という危急存亡のときにエステルに合わせて神に助けを願った三日三晩の断食をさします。エステルは三日間の祈りを伴う断食を支えに、法令を犯しても、王の前に立ったのです。即刻、死に繋がるかもしれない覚悟を決めてのことです。「王妃の衣装」は王の配偶者の地位にある者として王のもとに行くことを示していました。王に敬意を示すとともに、王と同等の者として(参照:創世記2:18)姿を現したのです。エステルの思慮深さの一端を見ます。
緊張の一瞬。それはエステルには長い一瞬だったことでしょう。「王が…王妃を見たとき、彼女は王の好意を得た」と聖書は記します。エステルの命は助かったのです。神が王の心に彼女に対する恵みの心を起こさせてくださったのです。
「王国の半分でも…」という王の誓いのことば(参照:マルコ6:23)に、エステルは王妃主催の王の宴会に、ハマンを同席させて、王を招待しました(3~5)。その席上、重ねて「何を願っているのか」と尋ねる王に、次の日に設けるハマン同席の宴会で「王様のおっしゃったとおりにいたします」と答えて王の了解を得たのです(6~8)。王妃からの特別の招きを受けて上機嫌のハマンですが、王宮の門にいるモルデカイが自分を少しも恐れていないのを見て、憤りに満たされ、妻や友人の知恵を得てハマン殺害の策を王に話すことにしました(9~14)。
エステルは祈りに励まされ、命を賭して神の導きに委ねました。私たちはどうでしょうか。いつも計算し、良く確かめてからでないとみことばに従ってはいないだろうか。主は「信じるなら神の栄光を見る」(ヨハネ11:40)と言っておられるのです。-山本怜-
一日一章 エステル記6章
ハマンがモルデカイ殺害のために五十キュビト(22m)の柱を立てたその夜、王は眠ることができず記録の書を持ってこさせてそれを読ませました(1)。その中に、かつてモルデカイが王暗殺の謀議について王に告げた記録を見つけました。何と「折にかなった助け」のみことばどおりの神のお計らいでしょう。2:21-23の出来事を王は思い返すことになったのです(参考:ヘブライ4:16)。このことでモルデカイに何か報いたのか、と侍従たちに尋ねる王に、彼らは「彼には何もしていません」と答えました。折しもハマンがモルデカイを五十キュビトの柱に架けることを王に進言しようと外庭に入ってきたのです(3~5)。
ハマンがモルデカイに怒りを燃やしているとはつゆ知らず、王はハマンに尋ねます。「王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう」。ハマンは、そのような人物は自分以外にあるまい、と心に思い、自分が最も望むことを王に進言しました(6~9)。進言するハマンの本音は何なのでしょう。それは、王の栄誉を受けるというよりも、王の栄誉を己れの栄誉にしようとする欲望ではないでしょうか。王の身なりをして王の馬に乗り、民衆の前に登場する、まさに自分が実質上の王だということを人々に見せつけたい権力への欲望の現れと言えます。
王は、ハマンに、あなたが言ったとおりのことをモルデカイにしなさい、と命じました。ハマンにとっては屈辱の極みです(12)。自分の力と知恵に慢心し、神を恐れず、自らの野望に腐心する人の末路はまことにあわれ(参照
箴言16:18)。ハマン敗北の予告(13)、終局に向かうエステルの催す宴会へのせき立て(14)などハマンに問題が打ち寄せてきます。しかし、「私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできる」(コリント二13:8)のです。-山本怜-
一日一章 エステル記7章
王妃エステル主催の二日目の宴会です。前の時と同じように(5:6)、
王はエステルに願い事をするように励ましました。召されてもいないのに自分のところにやってきたときから、エステルはかなり厄介な問題を抱えているに違いないと、心を痛めていたのでしょう。
これに対して、エステルは恭しい呼びかけをもって礼を返しました
(3a)。次いでエステルの口から出た願いは、エステル自身の死を決意してのことばでした。王妃の命にかかわる訴えのことば(3,4)は王の心を捉えました。しかし、彼女の願いは自分の命が救われることだけではありません。「私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、虐待され、滅ぼされようとしています」と実態を訴えて、「私の民族にも命を与えてください」と王にとりなすのです。
エステルの口から出た願いは、自分がユダヤ人であることを明かすことでもありました。それを王がどのように受け止めるかは分かりません。エステルは神を信頼し、神に拠り頼み、命をかけていたのです。
エステルが事情を説明したように、ハマンはユダヤ人の敵であるばかりか王への反逆者でもあるのです。エステルが王に言ったことばはハマンには意外なものでした。エステルがどの民族に属するのか知らなかったからです。うかつにも王妃の命を狙っていたということを悟った時はすでに遅く、彼には屈辱どころかそれに加えての猛烈な一撃でした。王が酒宴の場を離れたのを機に、ハマンはエステルに命ごいをしました。先ほどまで、自分がその命に脅威を与えていた当の相手に、それも自分がさげすんでいたユダヤ民族の一人に。こうして、ハマンは自分が仕掛けた罠に陥ったのです。「人の心には多くの計らいがある。主のみ旨のみが実現する」のです(箴言19:21)。-山本怜-
一日一章 エステル記8章
ハマンはモルデカイのために準備しておいた柱にかけられました。それで王の憤りは収まったのです(7:10)。その日、王はエステルにハマンの家を与え、モルデカイには自分の指輪を与えて王の権限を委ねました(1,2)。しかし、エステルにとってはそれですべてが終わったわけではありません。自分の命が救われても、ハマンが王の名によって発行した文書がある限り、ユダヤ人絶滅は現実となります。文書はすでに発行されているのです。エステルにとってユダヤ民族を救い出す好機はこの時をおいてはありません。この時点でやめていれば、そこには同胞の命への思いは見られず、自分だけが解放を得ることになるでしょう。それで、信仰に生きる者と言えるでしょうか。
エステルは、「どうして私は、自分の民族に降りかかるわざわいを見て我慢していられるでしょう。どうして、私の同族が滅びるのを見て我慢していられるでしょう」と言って王に執り成します(5,6)。同族に脅威を与える災難を一人で背負っているこの若い女性の姿に、私たちのために執り成しをされる十字架のキリストに思いをします(イザヤ53:12、ローマ8:34)。
こうして、ハマンによって発布された文書取り消しの文書がモルデカイによって作成され、法令として発布されました(9~14)。ハマンによる法に替わる新たな法がペルシア各地に知らされ、ユダヤ人絶滅は撤回されました。これによってユダヤ人たちの間に大きな喜びがわき上がったのです(16,17)。16節のことばは象徴的です。直訳は「ユダヤ人は、光、幸福、喜び、栄誉を持った」です。彼らは主の見えざる手により、幸いの中へと導かれたのです。キリストによって贖われた私たちも16節の象徴的なことばのように、喜びは満ちるのです。-山本怜-
一日一章 エステル記9章
アダルの月(十二月)の十三日、ハマンがユダヤ人たちを根絶することをくじで決めた日(3:7)が、逆にユダヤ人が自分たちを憎む者を打ち伏せることになりました(1)。クセルクセス王のすべての州で、ユダヤ人たちは、王が発布した文書(8:11)に基づいて、ユダヤ人に敵する者をみな剣で打ち殺したのです(5~11)。モルデカイの勢力のもと、諸州の首長から王の役人に至るまでもユダヤ人たちを支援しました(3)。ハマンの子たち十人が虐殺された(10)のは仇討ちを未然に防ぐためであったのでしょう。それにしましても、この出来事を読むとき、ユダヤ人たちによる殺戮の様子の生々しさに、このような報復が許されていいのだろうか、と思われるのです。
それで、敢えて次のことに注意しておきましょう。ユダヤ人たちが処分したのは、ユダヤ人の敵であり、ユダヤ人を憎む者、それも男で(5,6、「五百人」は原語では「五百人の男」)、女や子どもは含まれなかったのです。無防備な全市民のことではなく男性戦士と思われます。また、ユダヤ人たちは、略奪品を奪うことを許されていましたが(8:11)、手を出しませんでした(15)。勝者は戦利品を獲得するものと思われていた当時の社会では、注目される行為です(ユダヤ人の動機の高潔さを示す、という註解もあります)。ユダヤ人たちは敵対する男たちを殺しましたが、それは略奪のためではなく、自己防衛的行為と受けとめることができるのです。こうして民族絶滅の危機を脱したユダヤ人たちは、アダルの月の第十四日、十五日の両日を祝宴と喜びの日として祝いました(16~25)。これが仮庵祭、過越祭、五旬祭と並んでユダヤの四大祭りとなるプリムの祭りの起源です。悲しみが喜びに変えられた救いの記念日です。主の勝利のよみがえりを記念するイースターを思います。-山本怜-
一日一章 エステル記10章
エステル記はクセルクセス王に始まり(1:1)、その名をもって終わります(10:1)。王については歴史的評価が簡潔に述べられ、モルデカイの栄誉が述べられて、この章はわずか三節の記述です。しかし、エステル記でありながら、エステルの名は見当たりません。9章までに記されてきたエステルを考えるとき、その名は書きとめられてもいいのではないかと思います。それで、ここでは、エステルの名が記されないことの積極的な意味と神の摂理について考えてみましょう。
モルデカイもエステルも、自分の置かれたところで、成し得る最善のことをしました。それも決して当たり前のことではなく、自分の命さえ差し出すようにして成し得たことなのです。その動機は、自分の立場を守ったり、益になったりするといった自分本位のためではありません。自分にとらわれては決してできない働きをしました。その心をご覧になられる神(サムエル一16:7、ヨハネ2:25)には、モルデカイとエステルの動機も信仰もはっきりと覚えられていのです。
私たちは、「あなたがたの名が天に書き記されている」(ルカ10:20)視点をもってエステルの功績を覚えたいと思います。この視点は私たちの人生についてもとても大切な視点です。
最後に、神の名はエステル記には一度も記されてはいませんでしたが、その御業は明らかに「神の民」の救いであったのです。神は、今も見えざる神の確かな御手をもって救いのために働いて、歴史を導いておられるのです。その救いは、御子イエス・キリストによって成し遂げられた救いであり、さらに聖霊によって今も推し進められ、やがて終わりの時に完成する神の国の成就なのです。神は今も生きて働いておられます。その確信に堅く立って信仰を全うするのです。-山本怜-